「すべてのアメリカ人のための科学」に対する批判―11

前回:「すべてのアメリカ人のための科学」に対する批判―10

数学は科学になりうるか

河山

最後に、「数学の本質」全体を通しての疑問です。

『すべてのアメリカ人のための科学』の著者は、あるときは数学を科学の一部と見る一方で、別の箇所では数学と科学を区別しているのが不思議でなりません。

例えば、連載第7回の引用jでは、「数学は、パターンと関係の科学である」「数学はまた応用科学でもある」と述べており、数学を科学の一分野として見ているように見えます。しかし、第7回引用kでは「科学と数学の連携関係には長い歴史があり」と言ったり「数学は、科学の主言語である」と言ったり、両者を別物として区別しています。これらは矛盾していませんか?

山川

たしかに矛盾していますね。「数学の本質」を読むかぎり、数学は科学の一部なのかどうかについて、著者の主張は混乱しているように見えます。

第7回でも指摘しましたが、この著者は数学と科学との違いを明確にしていません。この点についてもう少し考えてみましょう。

参考のため、第7回の引用j, kを再掲します。

引用j

 数学は、パターンと関係の科学である。理論的な学問として、抽象概念が現実世界に類似性を持つかどうかには関心を持たずに、数学は抽象概念間における可能な関係を探求するものである。抽象概念は、数列から幾何図形や一連の方程式に至るまでのあらゆるものを含む。例えば、「素数の間の間隔は一つのパターンをなすか。」という理論的な問題に対して、多くの数学者はパターンの発見、又はパターンが存在しないことの証明にしか関心がなく、そうした知識がどういう用途を持つかには関心がない。例えば、ある正多面体の体積がゼロに近づくにつれてその表面積がどのように変化するかを式に表現するような場合、数学者は、幾何学的な多面体と現実世界における物理的な物体との対応性には全く関心を持たない。
 数学はまた応用科学でもある。多くの数学者は、経験世界に端を発する諸問題の解決にその注意を向けている。数学者はまた、パターンや関係を追求し、その過程において純粋に理論的な数学において用いられる方法に類似の方法を用いる。相違点は、概ね目的の違いにある。理論的な数学者とは対照的に、上述の例における応用数学者は、抽象的な問題としてではなく、素数の間の間隔のパターンを研究し、数値情報を暗号化する新たな体制を開発するかもしれない。あるいはまた、結晶の性質に関する研究に対し、モデルを作り出すための手順として、面積と体積の問題に取り組むかもしれない。[1]日本語版『すべてのアメリカ人のための科学』P.24、http://www.project2061.org/publications/sfaa/SFAA_Japanese.pdf

引用k

 ・科学と数学の連携関係には長い歴史があり、数世紀にも及ぶものである。科学は研究対象として興味深い問題を数学に提供し、数学はデータ解析に利用できる強力な道具を科学に提供してきた。数学者がそれ自体への興味から研究を行っていたある抽象的なパターンが、後になって科学で大変有用であることが見出されたこともしばしばであった。科学と数学はともに一般的なパターンと関係を発見しようとするものであり、この意味において両者は同じ方向を向いた活動の一部となっている。
 ・数学は、科学の主言語である。数学の記号言語は、結果的に科学的な概念を明確に表現する上で貴重なものとなった。a=F/m という表現は、単に物体の加速度がその物体と質量に加えられる力に依存することを簡潔に述べるための方法ではない。むしろ、これはそれら変数間の量的な関係についての正確な記述である。さらに重要なのは、数学が科学の文法、すなわち科学的概念とデータを厳密に分析するための規則も提供しているということである。
 ・数学と科学は、多くの共通の特徴を持っている。そうした共通点には、理解できる秩序に対する信念、想像力と厳密な論理との相互作用、率直さと開放性という理想、仲間による批評の重要性、重要な発見を最初に行うことに対する評価、世界的な視点、そして強力なコンピュータの開発を通じ、技術を用いて新たな研究分野を開拓できるということなどが含まれる。[2]前掲書P.25

第7回の最後でも述べましたが、数学の対象範囲の限界をどのように設定するのかを決めないと、他の諸科学との本質的な区別ができません。

ここで「数学とは何か」という本質的な問題に直面するのですが、この問題を解決することは数学の専門家でない私たちには手に余りますし、また今回の本題から外れてしまいます。なので、私たちはここで数学と科学との区別の問題に最終的な解決を与えるということはできない、ということはお断りしておきます。

ただ、次のことは間違いなくいえると思います。もし学問が何を研究対象とするかによって科学的であるかどうかが決まるのでないなら、数学も一定条件を満たすことで他の諸科学と同様に科学と呼べるだろう、ということです。連載第3回で私たちは、科学の研究対象の性質によって科学的であるかどうかが決まるか、というお話をしました。覚えていますか?

はい。たしか、『すべてのアメリカ人のための科学』の著者が、科学は人間の信念を研究対象にすることはできないと主張していて、山川さんがそれに反対していたのでしたね。信念をはじめ人間の認識すべてが科学の対象にならないことになると、文学の科学的研究ははじめからできないことになると言っていた記憶があります。

そのとおりです。何を研究対象とするかによって科学的であるかどうかは決まらない、というのが私の考えです。よって、たとえ抽象概念を研究対象としても、それが数であろうと図形であろうと、その学問が科学と呼べるだけの条件を備えているならば、それは科学と呼んで差し支えないはずです。

この著者は引用kでは数学と科学との間に多くの共通の特徴があることを認めています。しかし、数学は科学の一部だ、とまで言い切ってはいません。これを見るかぎり、著者が数学を科学と呼ぶことをためらっているようにさえ見えます。もし『すべてのアメリカ人のための科学』の著者が数学を科学と呼びたくないと考えているとしたら、どこに問題があるのでしょうか?

これは私の憶測であって確言できませんが、どうもこの著者は数学の扱う「パターンと関係」を科学の研究対象から暗黙のうちに除外しているように思われます。

もしそうだとすると、引用kで「科学と数学はともに一般的なパターンと関係を発見しようとするものであり」と言っているのと矛盾することになって、おかしいことになりませんか?

たしかに矛盾です。しかし、だからといって数学と科学を同じものとはみなしていません。これはとても奇妙です。

それとも、数学が研究する「パターンと関係」と科学が研究するそれとは、別の種類の「パターンと関係」だと著者は主張しているのでしょうか?「科学の本質」という章では「科学的な手法によっては有効に調べることができない」対象として「超自然的な力の存在や人生の真の目的など」を挙げていました 1が、数学が研究する「パターンと関係」もこれらと同様に科学的な手法では調べることができないのでしょうか?

この点に関して著者は詳しい説明をしていないので、はっきりしたことはわかりません。

ただ、数学を科学と呼びうるのかに関して、私は次のように主張したいと思います。

数学を科学と呼びうる条件の一つは、現実との比較によってその正しさを確認できることだと私は考えます。なぜなら、科学における正しさは現実と一致するかどうかで決まるからです。研究対象は具体的な形態をもつものに限らず、抽象概念であってもかまいません。

第4回で「科学の正しさの根拠は現実にある」と山川さんが主張していましたね。

そうです。この点は『すべてのアメリカ人のための科学』の著者も同じ意見であるはずです。 2

ところで、数学の古くからの研究対象である数と図形は、科学的に研究することができるのでしょうか?確認してみましょう。

第9回で私たちが確認したように、数は現実の物体から量という性質だけを抽象したものでした。数に関する法則性は現実の中に見ることができ、現実との比較でその法則の正しさを確認することができます

図形についても同じことがいえます。前回引用mで正しく指摘しているとおり、三角形という図形は、ヨットなどの帆船の帆のかたちや、2視点と星の位置とを線で結んだときにできるかたちを抽象して得られたものです。つまり、図形は現実の物体の具体的なかたちを抽象して認識したかたちにほかなりません。よって、図形に関する法則の正しさも現実との比較によって確認することができます。図形は、決して私たちが現実を見ないで頭の中で勝手に作り出したものではありません。

山川さんの考えでは、数と図形を扱う学問は科学になりうる可能性があるということですね。

ええ、数と図形を扱うかぎりにおいては、数学を科学と呼ぶことは十分可能だと思います——もちろん、その前に「科学とは何か」をはっきりさせる必要はありますが。

一方で、数学が他の諸科学が扱う対象よりも抽象度の高い対象——例えば数や図形——を主に扱うことは事実なので、これをより具体的な研究対象を扱う諸科学と区別することも必要だと思います。

私としては、数学を抽象科学という科学の一分野に入れることを提案したいと思います。つまり、数や図形、論理といった抽象概念を直接の研究対象とする学問を「抽象科学」という枠の中に入れてしまうのです。これはあくまで「何を研究対象とするか」を基準にした分け方であって、科学と呼ぶのに必要な条件とは区別されるべきです。

これに関して、もう一つ私の意見を述べておきたいと思います。

『すべてのアメリカ人のための科学』の著者は数学の対象を「数列から幾何図形や一連の方程式に至るまでのあらゆるものを含む」概念間の関係だとしていましたが、これこそ私の提唱する「抽象科学」の対象範囲とするべきだと思うのです。数学は「抽象科学」の一分野として抽象概念間関係の一部分のみを対象とすればよく、何も「あらゆる」抽象概念まで対象範囲を広げなくともよいはずです。

数学が対象としない範囲は、他の「抽象科学」の一分野に——もしなければ新たに下位分類の学問を作ってもよいです——担当させてはどうでしょうか?

第12回に続く

Notes:

  1. 第3回引用dを参照
  2. 第4回引用eを参照

References

References
1 日本語版『すべてのアメリカ人のための科学』P.24、http://www.project2061.org/publications/sfaa/SFAA_Japanese.pdf
2 前掲書P.25