山川 |
前回まで「科学的世界観」と題する一節について見てきました。次は、科学の研究方法について述べられた部分を読んでみましょう。 以下、第Ⅱ部第1章から抜粋します。一見正しそうに見えても、どこかに問題が隠されていないか注意しながら読んでみてください。 |
現実に根拠を置いた理論は必ず正しいといえるか
引用e
科学は証拠を要求する 1
遅かれ早かれ,科学的主張の妥当性は現象を観察することで解決される。したがって,科学者は正確なデータを収集することに努力する。このような証拠は,自然状態(森林など)から完全に作り出された状態(実験室など)に至るまでの状況においてなされた観察や測定を通して得られる。観察する時,科学者は自らの感覚,そうした感覚を補う器具(顕微鏡など),あるいは人が知覚できるものとは異なる特性(磁場など)を引き出す装置を用いる。科学者は,受動的観察(地震,鳥の渡りなど),収集(岩石,貝殻など),積極的な調査(地殼の掘削や試験医薬の服用など)を行う。[1]日本語版『すべてのアメリカ人のための科学』P.17、http://www.project2061.org/publications/sfaa/SFAA_Japanese.pdf
河山 |
たしかに、ぱっと見る限りでは正しそうに見えますね。しかし、先ほどと同じようになんとなく引っかかるところもあります。 |
山 |
「何か変だな」という感覚はとても大事です。どのようなところが引っかかりましたか? |
河 |
見出の「科学は証拠を要求する」とは奇妙な言い方ですね。ここで述べられていることは、一言で言うとどういうことですか? |
山 |
科学の正しさの根拠は現実にあるということです。つまり、科学は現実世界に存在する法則性に対する認識ですから、科学理論は現実の事象と一致して初めて正しいといえるわけです。ここでいう証拠とは、端的に言えば、理論と現実の一致を示すために現実世界から特定の事象を取ってきたものになります。これと反対に、人間の頭の中だけで作り出した理論は現実の事象に根拠をおいていないわけですから、(部分的には一致したとしても)現実に正確に一致することはありません。これは科学理論とは呼べません。 |
河 |
しかし、現実に根拠を置いているからといって、その理論が必ずしも正しいとは限らないのではありませんか?以前の「群盲象を評す」の例のように、部分的には現実を正しく観察していても、その観察対象の全体は正しく捉えられていないということがありうると思います。 |
山 |
なかなか鋭いですね。一つ例を挙げましょう。 イタリアの物理学者・天文学者ガリレオ・ガリレイ(1564 – 1642)を知っていますね?彼はギリシャの哲学者アリストテレスの物理学に対して疑問をいだき、実験と理論によって批判を展開し、新しい物理学の基礎を打ち立てた人です。ところで、当時学問の権威として知られていたアリストテレスは物理学においてどのようなことをのべていたのでしょうか?彼の形而上学の延長として、アリストテレスは物理学でも現実を無視した理論を述べているようなイメージを持たれているかもしれませんが、決してそんなことはないのです。実は、彼もある意味では現実を忠実に観察していたのです。 2 例えば、石と鳥の羽を同時に落とした場合、当然石の方が速く落ちて、鳥の羽はゆっくり落ちます。このように重いものは速く落ち、軽いものはゆっくり落ちるということは、私たちが普段当たり前のように見ている現実の現象です。 このことから、アリストテレスは、物体の性質は次の2つのものに分けられると考えました。一つは下の方に自分の行くべき場所があるもので、もう一つは上の方に自分の行くべき場所があるものです。先の例で言えば、鳥の羽は前者で、石は後者ということになるでしょう。このような解釈は正しいでしょうか? |
河 |
現代の常識で考えれば、正しくありませんね。ものの運動を観察するときには、空気の抵抗やその他の摩擦を無視しないといけないと思います。 |
山 |
そのとおりです。むしろ、このことを初めて明らかにしたのがガリレオ・ガリレイの功績でした。現代の私たちが物体の摩擦というものを知っているのは、ガリレイの偉大な業績のおかげですね。アリストテレスは他にもこんなことを言っています。 ものを投げると、石のような重いものでも上の方へ上がりますが、それは投げたものの後ろから動き出した空気がどんどん追いかけて押してくるからだ、というのです。そして、石がある程度上昇した後に下の方へ落ちてしまうのは、空気が追いかける力を失ったからだ、と彼は解釈しました。 また、台車や買い物カートのような手押し車を手で押すとします。弱く押すとゆっくり動きますが、力を入れて強く押すともっと速く動きます。このことから、彼は、手押し車を押す力とその速度は比例すると解釈しました。ただし、彼の解釈には摩擦力というものが考慮されていません。実際には、速さは「加える力 − 摩擦力」に比例します。摩擦を無視すれば、速さは加える力に正確に比例します。 以上から、アリストテレスの観察は、現実の現象を忠実に見ているという点では正しいといえます。しかし、そこから導き出した理論は必ずしも正しくありません。 |
河 |
現実を正しく観察したからといって、そこから正しい理論がすんなりと出てくるわけではないのですね。 |
山 |
そうです。前にも少し述べた天動説についても同じことがいえます。 私たちが普段見ている太陽や月、星の動きを見る限り、私たちが立っている地面は一切動かず天のほうが動いているという考え方は現実にぴったり合っているように見えます。2世紀ギリシャの天文学者プトレマイオスは、このような考え方を基礎に従来の天文学研究を集大成しました。以後、プトレマイオスの天動説がヨーロッパの天文学で大きな権威として君臨することになりました。一方、16世紀に活躍したポーランドの天文学者ニコラウス・コペルニクス(1473 – 1543)は、天文学の研究過程で天動説に疑問をいだき、地球のほうが太陽の周りを回っているとする説(地動説、太陽中心説とも呼ばれる)を唱えました。 3しかし、コペルニクスの唱えた地動説は、当時の人々にすぐに受け入れられたわけではありませんでした。地球が太陽の周りを回っているといっても、普段の生活の中で私たちが立っている地面が動いていることを実感する場面はほとんどありません。そのため地動説は、当時の天文学者はもちろん、天文学を少しも知らない人にとってはなおさら全くの空想のように思われたことでしょう。 |
河 |
そう言われてみると、地球が動いているということを現代の私たちが何の疑問もなく受け入れているのは、なんとも不思議なことのように思えます。 |
山 |
私たちが疑問に思わないのは、子供の頃から「地球は太陽の周りを回っている」と教えられているからですね。一方、コペルニクスや彼より後の時代の天文学者ヨハネス・ケプラー(1571 – 1630)は、天体観測の結果と天文学の理論との矛盾に直面し、その経験から地動説を支持するようになりました。ここが彼らと私たちの大きな違いです。 目の前のありのままの事実から正しい理論を導き出すことの難しさについて、物理学者の武谷三男 4は『科学入門—科学的なものの考え方』の中でこう述べています。 |
夜そとに出て星空をあおいだり、太陽が東から出て西にはいってたりしているのを見ていますと、いかにもプトレマイオスの天動説のほうがじっさいの状態に合っているように見え、コペルニクスのほうが、じっさいからはなれた空想のように見えます。しかし、いままで申しましたようなことがらを十分によくしらべて見ますと、プトレマイオスの天動説のほうが、はるかに奇妙なものであることがわかるでしょう。
しかも、みなさんは小さいときから、地球はまわっていると教えられているので、ただいまのお話を理解するのもたやすいですが、その当時の人がこれをわかろうとするには、たいへんほねがおれることだったのは想像がつくでしょう。
今日、いろいろのことで、目の前のありのままの事実というものをふりまわし、正しい考えにたいして、そんなのは理想論だとか、空想だとかいっておしのけようとする意見が多いのは残念です。その場合、その目の前の事実というものを、もっと十分にしらべてかかる必要があるのです。しかも、もっと大きな見方から……。[2]『科学入門—科学的なものの考え方 増補版』(武谷三男著、勁草書房、1964年初版、1996年増補版)P.23
河 |
「もっと大きな見方から」ですか……意味深ですね。 |
山 |
まさにそうです。実は、武谷氏はこの「もっと大きな見方」というのをとても重要視しており、この見方を科学に欠かせないものとしています。 5彼の科学観については、脇道に逸れてしまうのでここでは詳しく解説しませんが、もし興味を持たれたなら武谷三男『ニュートン力学の形成』(『弁証法の諸問題 武谷三男著作集Ⅰ』所収、勁草書房、1968年)を読んでみてください。 |
第5回に続く
Notes:
- 強調は原文ママ。 ↩
- アリストテレスとガリレオ・ガリレイの物理学の違いを学ぶにあたっては、『科学入門—科学的なものの考え方 増補版』(武谷三男著、勁草書房、1964年初版、1996年増補版)が大変参考になった。以下の内容はこの著書に多く依拠している。 ↩
- 正確には、コペルニクスは地動説を最初に唱えた人ではない。紀元前3世紀ギリシャの天文学者アリスタルコスは、宇宙の中心に太陽があり、その周りを地球といくつかの惑星が回っているという説を唱えていた。コペルニクスは古代ギリシャ・ローマの古典を通じて太陽中心説の着想を得ていたといわれる。 ↩
- 1911 – 2000。物理学者。湯川秀樹・坂田昌一と中間子論の研究を行う。素粒子物理学を研究するかたわら、原水爆禁止運動の推進にも尽力。『武谷三男著作集』(全6巻)がある。 ↩
- 引用元では明示されていないが、ここでいう「もっと大きな見方」とは、ただ目の前の現象の知識を集め整理するのではなく、その背後にあって現象を起こす実体的な構造を探ろうとする観点を恐らくいうのであろう。これは、武谷氏の提唱する「三段階論」のうちの第2段階「実体論的段階」を指すものと思われる。武谷氏の「三段階論」については、武谷三男『ニュートン力学の形成』を参照。 ↩
References
↑1 | 日本語版『すべてのアメリカ人のための科学』P.17、http://www.project2061.org/publications/sfaa/SFAA_Japanese.pdf |
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↑2 | 『科学入門—科学的なものの考え方 増補版』(武谷三男著、勁草書房、1964年初版、1996年増補版)P.23 |