「すべてのアメリカ人のための科学」に対する批判―4
前回:「すべてのアメリカ人のための科学」に対する批判―3 山川 前回まで「科学的世界観」と題する一節について見てきました。次は、科学の研究方法について述べられた部分を読んでみましょう。 以下、第Ⅱ部第1章から抜粋します。 […]
「すべてのアメリカ人のための科学」に対する批判―3
前回:「すべてのアメリカ人のための科学」に対する批判―2 法則と法則性 引用a(再掲) 世界は理解できる 科学は、体系的で注意深い研究を通して、宇宙や世界の物事と出来事は理解可能な一貫したパターンで起こることを前提とし […]
「すべてのアメリカ人のための科学」に対する批判―2
前回:「すべてのアメリカ人のための科学」に対する批判―1 科学の本質的な定義とは 山川 『すべてのアメリカ人のための科学』第Ⅱ章第1章「科学の本質」から「科学的世界観」という見出の箇所の一部を抜粋してみます。著者が考える […]
「すべてのアメリカ人のための科学」に対する批判―1
科学的とはどういうことかをはっきりさせないかぎり、科学的な文学研究を名乗ることはできない。 そこで、研究活動が科学と呼べるための条件を明確にするため、科学論を勉強する必要が出てくる。 この勉強の過程で私は『すべてのアメリ […]
「〜がある」と「〜である」の違い3
前回と前々回の続き 前回は「である」の「ある」の解釈について補助動詞説、山田の存在詞説、三浦の助動詞説について確認した。 どの説が正しいのか では、結局の所どの説が正しいのだろうか? 一見どの説にも矛盾がないように見える […]