「すべてのアメリカ人のための科学」に対する批判―7

前回:「すべてのアメリカ人のための科学」に対する批判―6

山川

前節「科学的探求」に続いて「科学的営為」という一節があります。しかし、申し訳ないのですが、この節は飛ばしたいと思います。

河山

飛ばしてしまうのですか?前の節と同じく批判的に読むのが楽しみだったのですけど……。

すみません。もちろん、科学者の研究活動はどうあるべきかというテーマは、内容として興味深いものですが、今回のメインテーマである「科学とはなにか」から少し脇道にそれてしまいます。これから「数学」と「技術」について取り上げる予定なので、今回はそちらに注力させてもらいたいのです。「科学的営為」の批評は別の機会にやってみたいと思います。

数学の本質

「科学の本質」という章の次に、「数学の本質」という章が続きます。この章から一部分を抜粋して、科学と数学の関係について考えてみましょう。

以下は第Ⅱ部第2章「数学の本質」からの抜粋です。

引用j

 数学は、パターンと関係の科学である。理論的な学問として、抽象概念が現実世界に類似性を持つかどうかには関心を持たずに、数学は抽象概念間における可能な関係を探求するものである。抽象概念は、数列から幾何図形や一連の方程式に至るまでのあらゆるものを含む。例えば、「素数の間の間隔は一つのパターンをなすか。」という理論的な問題に対して、多くの数学者はパターンの発見、又はパターンが存在しないことの証明にしか関心がなく、そうした知識がどういう用途を持つかには関心がない。例えば、ある正多面体の体積がゼロに近づくにつれてその表面積がどのように変化するかを式に表現するような場合、数学者は、幾何学的な多面体と現実世界における物理的な物体との対応性には全く関心を持たない。
 数学はまた応用科学でもある。多くの数学者は、経験世界に端を発する諸問題の解決にその注意を向けている。数学者はまた、パターンや関係を追求し、その過程において純粋に理論的な数学において用いられる方法に類似の方法を用いる。相違点は、概ね目的の違いにある。理論的な数学者とは対照的に、上述の例における応用数学者は、抽象的な問題としてではなく、素数の間の間隔のパターンを研究し、数値情報を暗号化する新たな体制を開発するかもしれない。あるいはまた、結晶の性質に関する研究に対し、モデルを作り出すための手順として、面積と体積の問題に取り組むかもしれない。[1]日本語版『すべてのアメリカ人のための科学』P.24、http://www.project2061.org/publications/sfaa/SFAA_Japanese.pdf

引用k

 ・科学と数学の連携関係には長い歴史があり、数世紀にも及ぶものである。科学は研究対象として興味深い問題を数学に提供し、数学はデータ解析に利用できる強力な道具を科学に提供してきた。数学者がそれ自体への興味から研究を行っていたある抽象的なパターンが、後になって科学で大変有用であることが見出されたこともしばしばであった。科学と数学はともに一般的なパターンと関係を発見しようとするものであり、この意味において両者は同じ方向を向いた活動の一部となっている。
 ・数学は、科学の主言語である。数学の記号言語は、結果的に科学的な概念を明確に表現する上で貴重なものとなった。a=F/m という表現は、単に物体の加速度がその物体と質量に加えられる力に依存することを簡潔に述べるための方法ではない。むしろ、これはそれら変数間の量的な関係についての正確な記述である。さらに重要なのは、数学が科学の文法、すなわち科学的概念とデータを厳密に分析するための規則も提供しているということである。
 ・数学と科学は、多くの共通の特徴を持っている。そうした共通点には、理解できる秩序に対する信念、想像力と厳密な論理との相互作用、率直さと開放性という理想、仲間による批評の重要性、重要な発見を最初に行うことに対する評価、世界的な視点、そして強力なコンピュータの開発を通じ、技術を用いて新たな研究分野を開拓できるということなどが含まれる。[2]前掲書P.25

引用jについて1つ疑問があります。

「数学は、パターンと関係の科学である。」とありますが、私はこれに戸惑いを感じました。というのも、私は数学とは数と図形についての学問だと今まで考えていたからです。実際、私は学校教育の数学では主に数と図形について学びました。しかし、数学はそもそも数と図形を扱う学問ではないのでしょうか?

もっともな疑問ですね。引用jは、数学の専門家でない私たちが見るとちょっと奇妙です。これを書いた著者は間違いなく数学の専門家でしょうが、この著者は数学をどのような学問として見ているのでしょうか?これから一緒に考えてみましょう。

数学の扱う対象範囲は?

数学の長い歴史を振り返ると、数学は古くから数と図形に関する学問でした。

例えば、古代エジプトでは、角錐(三角錐や四角錐などの多面体)の体積を求める公式がすでに知られていました。四角錐はピラミッドの形として有名ですね。この公式はピラミッドの建設にも用いられたそうです。今から3000年以上前の西アジアで栄えたバビロニア文明では、代数学が発達し、当時はすでに2次方程式や連立方程式があったそうです。これらの知識は後に古代ギリシアの数学に受け継がれ、紀元前3世紀の数学者エウクレイデス(ユークリッド)がこれまでの数学を体系化しました。

ですから、「数学とは数と図形についての学問」というあなたのイメージは決して間違いではないのです。引用jで述べられた「数学は、パターンと関係の科学である」という定義からはこのことが読み取れませんが、数学が数と図形のパターンと関係を対象とする学問であることには違いありません。引用jでは「パターンと関係」の前に「数と図形の」という言葉が省略されていると考えてください。

どうして「数と図形の」が定義から抜け落ちているのでしょうか?

それは、この著者は数学が扱う対象を「数列から幾何図形や一連の方程式に至るまでのあらゆるものを含む」概念間の関係だと想定しているからです。数学は数と図形以外の抽象概念の関係も扱うからこそ、「パターンと関係」の前に「数と図形の」という限定を入れる必要はないというのですね。

ところで、科学もまた「パターンと関係」を研究する学問です。引用kでも「科学と数学はともに一般的なパターンと関係を発見しようとするものであり」と述べられています。これだけを読むと、科学と数学の違いがよくわかりません。著者は「数学と科学は、多くの共通の特徴を持っている」と言い、共通点を挙げていますが、一方で相違点の方は明確に示していません。

科学と数学の研究対象はどのように区別されるのでしょうか?

数学は科学と違って抽象的な概念を扱うのではありませんか?

いえ、科学も抽象的な概念を扱うことがあります。例えば、物体の加速度や質量、エネルギーという概念も抽象概念ですよね?引用kでも挙げられていたa=F/mはこういった抽象概念間の関係性を表現したもので、こういう関係性を研究することも科学の目的の一つです。抽象概念あるいは抽象概念間の関係を扱うか否かだけで数学と科学を区別することはできません。

『すべてのアメリカ人のための科学』の著者が数学の研究対象をどのように考えているのか、正直に言ってよくわかりません。「あらゆるものを含む」概念間の関係というのはあまりにも曖昧な言い方です。

たしかにそうですね。一方で、著者がそのように言うのには理由がないわけではありません。

実は、数学の入門書でも『すべてのアメリカ人のための科学』と似たようなことが書かれています。『現代数学入門』(遠山啓著、ちくま学芸文庫、2012年)という入門書から、現代数学の特徴について書かれた部分を引用しましょう。

 おそらくみなさんは, 現代数学というものはあまりご存じないかもしれない. 近代の数学のいちばんの中心は微積分学であったというふうにお考えになれば, 数学というのはだいたいどういうものかということは, その性格はおおまかにつかめると思います. しかし, 現代の数学となると, いわゆる大学の数学科というところはいちおう除いて, それ以外のところでは, せいぜい近代までの数学しか講義されていないと思うのです. そういう意味で現代の数学というのは, みなさんにとってかなり新しい考えで, あるいはたいへん意外な考え方さえでてくると思うのです. むしろ今までの数学というものの概念を忘れてしまったほうがいいくらいです. 現代の数学を理解するには, 数学に対する既成の概念はいちおう棚上げしておいて, まったく新しいことを聞くつもりで聞いていただくと, かえってわかりやすいのではないかと思います. 数学というのはそんなことをやるのかと, たぶん, 意外な感じを持たれるかも知れません.[3]『現代数学入門』(遠山啓著、ちくま学芸文庫、2012年)P.70, 71

<数学とは数と図形に関する学問>という考え方はひとまず忘れなさい、というわけです。では、現代数学の特徴は何かというと、遠山氏は「構造の科学」だと言います。この「構造」とは何でしょう?

構造というのはいったい何なのかといいますと, これは集合に何か加わったものです. 集合とは単なるものの集まりをなしている一つ一つの構成分子, つまり要素の集まりですが, 要素相互の関係は考えていない. ところが構造というのは, この要素の間に何らかの相互関係が規定されている, もしくはそういうものが定義されている, こういうものを構造と呼ぶわけです.[4]前掲書P.98

 構造という概念, これは建物にたとえると非常にうまく説明できる. 建物は昔からあったわけではなくて人間が建てたものですが, 建物が建つ前にはまず建築材料を持ってくるわけです. そこの建物をつくる敷地へ建築材料を集めてくる, そういう状態のときはまだ集合だといっていい. お互いに何の関係もない. ところが建築材料を組み立ててくると, その建築材料の一つ一つの間に相互の関係がでてくるわけです. この石の上にはこの柱をのっけるとか, この柱とこの柱はこのはりでもってつなぐとか, つまり一つ一つの集合の要素の間を何らかの関係で結びつけるわけです. そうすることによって建物ができる. 数学でいう構造とはそういうものです.
 ただし建築物は物体からできています. しかし数学の構造は物体ばかりではなくてもっと広くて, いわば概念の建築物のようなものです. たとえば月, 火, 水, 木, 金というのも, もの丶丶ではないでしょう. 月, 火というのは一つの概念, これが月曜日だといって見せるわけにはいかない. 物体だったら何か重さとか体積がある. そんなものはないわけですから, ものとして考えたものにすぎない. しかし曜日の集まり――集合は何かといえば日, 月, 火, 水, 木, 金, 土ですが, ところがよく考えてみると, この曜日の間には相互関係がある. たとえば日曜のつぎは何かというと月曜である. 月曜のつぎは何か. つまり「つぎの日」というもので日曜と月曜はつながっている, 相互関係があるわけです.(中略)
 そういう例を二, 三あげてみたいと思います. 要するに何らかの相互関係を持った何かのものです. たいへん一般的ですけれども, 構造とはそのくらい広い概念である.
 たとえばスポーツなどでリーグ戦というのがあって, 三つのものの間に「三すくみの関係」になることがたくさんあります. 一番よくわかるのはじゃんけんです. 石, 鋏, 紙ですが, 石は鋏より強い. (中略)こういう関係をもった構造は, 単にじゃんけんだったら, こういうものを三すくみなどという言葉すら考える必要はないと思いますが, 三すくみという言葉ができたのは, これと同じような関係を持ったものが世の中にはほかにもいっぱいあるからです. ものは違うけれども, このタイプの関係は至るところにあらわれてくる.[5]前掲書P.98〜101、「もの」の強調は原文ママ

「構造」についてはよくわかりました。しかし、数学は<数の学>という名前なのに「構造」を研究するとはちょっと奇妙に思われます。

たしかに。現代数学においては、もはや数だけを扱う学問ではなくなっているようです。引用が長くなって申し訳ないですが、もう少し引用を続けます。

 数学という学問の特徴は, さっきたとえば三すくみの例を三つあげましたが, 石, 紙, 鋏がといういうものであるか, 一つ一つのものの性質を研究するのは数学の任務ではなくて, もののほうはいちおう棚上げして, 相互関係のタイプに重点を置いて研究するのが数学だ, そういう意味で数学を「構造の科学」という規定をすることができる. いろいろな構造が数学という学問の中にストックされている. 世の中がだんだん進歩するにつれて, そのストックは増えていっている. 数学者は職業上いろいろな構造あるいはそういうパターンを知っている. だから専門家になる. しかし数学者でない人も相当たくさんのパターンを知っているはずである. それでいろいろな現実の問題を処理している. だから数学は構造の科学というふうにいうと, たいへんその性格がはっきりしてくる.
 数学は名前によりますと, 数の学となっています. ところがそれはちょっと違うのです. 数学というのは数の計算をやる計算術だというふうに誤解されやすいのですが, とくに現代の数学は, 数の研究もやりますけれども, それは一部分であって, むしろ構造の研究が主である.
 じつは数学は, 昔皆さんが小学校, 中学校でおやりになった数学でも, ある意味では構造をやっていたのです. たとえば2+3=5という計算をやったときに, この5というのはミカン二つとミカン三つを足したらミカンが五つになったということも代表している. それからリンゴ二つでもよろしい. 人間でもいい. 何でも使える. つまりものは違うけれども構造は同じなんだ. その同じものを全部代表したのが2+3=5だ, こう考えれば, 数学はじつは昔から構造をやっていたといえないことはありません. しかしその構造が数で表されるような構造を主としてやっていた. だから, 数の学問といっても間違いではなかった. しかし最近では必ずしも数であらわされないような関係も研究の中に入れてきた.[6]前掲書P.105, 106

わかりやすい説明でしたが……正直なところ、数学が「構造の科学」という考えはなじみにくいですね。数学の対象があまりに広すぎて、今ひとつピンときません。「数学は数の学問」とすっぱり言い切ってくれたほうがまだわかりやすいです。

たしかに、戸惑うのも無理はありません。これほど幅広くて漠然とした対象を扱う学問は、おそらく現代数学以外にないと思います。

現代の数学が数と図形以外の対象も広く扱うことはわかりました。

しかし、一つ疑問が残ります。数学の研究対象があらゆる「構造」だとしたら、その対象範囲の限界はどこにあるのでしょうか?他の科学分野も何らかの「構造」を研究しているわけですから、他の諸科学と数学との違いが問題になると思います。

おっしゃるとおりですね。遠山氏は次のように補足しています。

 ところが, あまり一般化してしまうと, 何でもかんでも数学になってしまう, あまり広げてしまうと数学者は作曲もしなければならないし, 絵もかかなければならないということになって, これはたいへん具合が悪い. そこでいちおうふろしきを広げておいてから, 今度はつぼめないといけない. 数学という学問で研究する構造というものをある程度限定しようというのです.
 そこで構造というものをだいたい3種類に限定したのです. それが位相的構造, 代数的構造, 順序構造で, この3種類についてあらましお話してみたいと思います.[7]前掲書P.109

「位相的構造」「代数的構造」「順序構造」とは何ですか?

えっと……すみません、続きは引用元の本を読んでください。これ以上数学の世界へ深く入っていくと本題から外れてしまうので……。

了解です。でも、この世界に存在するすべての「構造」は、必ずしも上の3つの「構造」に分類できるわけではありませんよね?

もちろんです。その意味で、上の考えは数学の研究対象の範囲に一応の限界を設けたものといえそうです。

一方で、『すべてのアメリカ人のための科学』の著者は、数学の対象は「あらゆるものを含む」概念間の「パターンと関係」だと主張しますから、この考えでは研究対象の範囲に明確な限界がありません。数学の研究対象の範囲をどう考えるかについては、数学者によって意見の相違があるのかもしれません。

結局のところ、数学とその他の科学との違いは何でしょうか?

それは、数学をどういう学問と考えるか次第でしょうね。つまり、「数学とは何か」という本質的な問題にぶつかるわけですが、この問題に深く突っ込んで考えることは今回の私たちの目的ではありません。

とりあえず、現代の数学は数と図形以外の対象も広く扱うことはわかっていただけたかと思います。では、次に進みましょう。

第8回に続く

References

References
1 日本語版『すべてのアメリカ人のための科学』P.24、http://www.project2061.org/publications/sfaa/SFAA_Japanese.pdf
2 前掲書P.25
3 『現代数学入門』(遠山啓著、ちくま学芸文庫、2012年)P.70, 71
4 前掲書P.98
5 前掲書P.98〜101、「もの」の強調は原文ママ
6 前掲書P.105, 106
7 前掲書P.109